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聖龍

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プロセス

こんな光景をイメージしていただけるでしょうか?


道端でご近所のお知り合いと談笑するお母さんとお母さんの足元に抱きついているお子さん

お母さんたちの長話に飽きてきたお子さんは、ふと目にはいった道端に咲く綺麗な花に興味を持ち、その花に向かって歩き始めます
ただ、お子さんはまだ小さく、ちょっと走ると転びそうな足取り…

やがてそのお子さんは、その花が遠目にみて本当に綺麗な花にみえるので、近くにいったらもっとキレイにみえるかもしれないと、ワクワクして楽しくなり「キャハハ」といって駆け出します

お話に夢中だったお母さんはそこでご自分の子供の行動に気がつきます
(走ったら転んであぶないわ)
お母さんはご自分のお子さんに向かってこう叫びます
「走ったら転んで危ないわよ」
偶然か、その瞬間そのお子さんは道に転がる石につまづき転びました
「ほら、言ったでしょう――」

転んだお子さんは転んだ瞬間はちょっと痛いという顔をしただけでしたが、ちょうど転んだ場所が先ほどみた花の近くで、その花をみた瞬間に泣き出します
「わぁ~ん」

お母さんが即座にお子さんに駆け寄ります

ただ、お母さんがお子さんのもとに駆け寄った時には、お子さんはもう泣き止んでいました

そのお子さんは、駆け寄った花の花びらに止まっているキレイな蝶々にみとれてたのです――


そして、そのお子さんは何十年か後、昆虫学者になり生涯蝶々の研究を続けて暮らしました



ちょっとできすぎたお話ですが、みなさんはどう感じられたでしょうか?

お母さんが(走ったら転んであぶないわ)と思ったり「走ったら転んで危ないわよ」と叫んで『心配』されたことがネガティブな現実を『引き寄せた』と思い、『そうしないほうがいい』と思われたり

転んだお子さんはすぐ泣き出さなかったけど毛が「ほら、言ったでしょう――」とお母さんがいったことが、お子さんへのネガティブなエネルギーをぶつけることになり、お子さんは『転んだ痛み』というネガティブなことに意識をむけ、泣き出してしまったとお考えになられたり

遠くからみた花はキレイだったけど、近くでみたら思ったよりキレイではなく、その悲しみがネガティブなエネルギーを生み出し転んだ痛みに意識を向けさせたとか

と、いろいろなことを感じられたかもしれませんよね

わたしはこれらの例はすべてそれなりに当てはまると思いますが、そのお子さんがみせた『笑顔』とその後の行動に意味をかんじます

そのお子さんにとって
転んだ痛みや
お母さんの心配という悪気のないネガティブ・エネルギーや
遠くからみた花と近くからみた花の違いから起こった失望というネガティブなエネルギーは

すべてそのお子さんが蝶々に出逢うために必要なプロセスだとおもうんです

それに至るすべての過程に『正しいも悪いもない』とおもうんです

転んで痛みを受け、期待したものに失望したタイミングでないと
その蝶々の美しさは受けとれない
という事もあるとおもうんです

私たちは今まで生きてきた人生の中で
なんど転んび続けたでしょうか?
なんど周囲からネガティブなエネルギーをぶつけられ続けたでしょうか?
なんど期待したものに失望し続けたでしょうか?
そして、幼児が駆け出した時のように
なんど周囲から愚かだと思われたでしょうか?


そして
それらがどれだけ私たちを苦しめ
どれだけ私たちを導いてくださったでしょうか?

すべての現象はすべて自分の成長に必要なプロセスに過ぎないと感じることは、どれだけ私たちが生きるチカラとしてサポートしてくださるのでしょうか?


ワクワク感とともにハートから溢れ出る事が
自分を導いてくれる完全なガイドだとおもうんです

愛とともに
聖龍


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by healing-seiryu | 2009-02-15 23:47 | 意識
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